失敗作の独白

 暗い場所に座っている。
 ここがどこで、なんという場所かはわからない。知らない。
 わかっているのはただ二つだけ。
 一つ、静かにしていなければならない。
――お前の声は耳障りだ。
 一つ、ここから出てはいけない。
――お前の姿は目障りだ。

――お前は失敗作だ。

 ◇

 目覚まし時計の電子音が聞こえる。
 朱夏はベッドの中で縮こまっていた身体をゆっくりと伸ばし、目覚まし時計をぺしんと叩く。
 ピピピ、と鳴りかけてアラームが切れた。
 マットレスに張り付いたような身体を起こし、カーテンを開ける。朝の日差しが目に痛い。
 今日もいい日になりそうだ。そう思うけれども、どことなく疎外感……とでも言うようなものがある。でもこれはいつものことで、誰にでもあることだ。たぶん。知らないけど。
 ベッドから降り、身支度を整えて朝ご飯を食べる。朝ご飯、と言いつつ食べるのは、オレンジジュースと昨日コンビニで買ったレモンクリーム入りメロンパン。……なんでレモンクリームパンじゃないんだろうか。おいしいけど。
 あとは登校時間までニュース番組を見る。色が多くて目が痛い。次から次へ、言葉が流れていく。
 与党が、野党が、芸能、主演は、賞を、スポーツ、野球、サッカー、オリンピック、云々。
 聞き流しているだけでも、その情報量に頭がぐらぐらする。
 結局耐えられなくなって、テレビは消してしまった。
 冷蔵庫からオレンジジュースを出して、もう一杯コップに注ぐ。それをぐいっと飲み干して、朱夏は鞄を掴んで家を出た。
 朝から外は暑い。この日差しはちょっと暴力だ。日傘で手が塞がるのは嫌だから、帽子がいいかもしれない。
 そうだ、麦わら帽子がいい。大きな麦わら帽子。あの子が被っていたような。ああ、でも失敗作の朱夏だと耳が邪魔になるかもしれない。

……あの子?

 あの子。麦わら帽子の子。
 誰だったっけ、あの子は。
 記憶は辿れない。途切れている。声も、名前も、確かに聞いたはずなのに。
 いや、本当に聞いただろうか。聞かなかったかもしれない。落ちこぼれの朱夏だもの。
 あんまり日差しが強いから、平たい鞄を傘みたいに頭にかざして、学校まで歩く。
 学校が近くなると、視界には制服姿の生徒が増えてくる。
「おはよう、孫王君」
 横を通った一ノ瀬会長ににっこりする。おはよう、と返したくても、学校が見えてきたあたりから、舌はサボタージュを起こしている。なのでにっこりしておく。
 一日学校ですごして、放課後。ざわめきが引いて、やっと教室が静かになる。
 目からも、耳からも、情報が減るのは嬉しい。ざわざわした場所は苦手だ。見て聞いたものの処理が追いつかなくなる。失敗作、だから。

 失敗作。

 どこでそう言われたんだったっけ。思い出せない。あの子のことと同じように。
 でも言われた。確かに、誰かに言われた、何度も。
 言われたことを満足にできない、見た目も■■■■には程遠い。だから失敗作だと。
 その言葉は、疎外感とともに胸の奥にへばりついている。
 ごそごそと鞄を探って、お菓子を取り出す。コンビニで買ったバタークッキー。
 さくさくとしたクッキーは、口の中であっという間に崩れた。
「忘れ物……あれ、孫王ちゃん? どしたのー?」
 ぱたぱた走ってきた女子――確か名前は、小萩繭こはぎまゆさん、だったかな――の声に顔をそちらに向ける。
「クッキー、食べて、る」
 人目がないところなら、舌もどうにか動いてくれる。
 でも声は、誰かに言われたとおり綺麗じゃない。変にかすれているし、喉にひっかかるような感じがある。
「いいなー。ね、一枚ちょうだい? かわりにこれあげる!」
 もらったのは、シャインマスカット味のチョコ。コンビニで見かけた、期間限定のものだ。
「ん。あり、がと」
「どういたしましてー。そういえば孫王ちゃんがしゃべるとこ、はじめて見たかも!」
 何か答えようとして、また舌がサボタージュを起こす。
 代わりにえへへ、と笑ってみると、小萩さんもおかしそうに笑った。
「あ、これからバイトあるから、じゃーね!」
 来たときと同じようにぱたぱた駆けていく小萩さんを見送って、朱夏も立ち上がる。
 また誰かが来る前に、早く帰ろう。あの暗い場所に……ではなくて、あの明るい家に。