転換
朝、冷凍庫に入れていた氷枕をタオルで包み、りんに持っていくと、彼女は赤い顔を縫に向けた。
「縫、スマホ取って。学校に電話しないと」
「や、る」
「でも……」
スマホを出し、大丈夫だと伝える。わかった、と言ったものの、りんはどこかしおれて見えた。
その後、コミュニケーション用のスマホアプリを使ってりんの病欠を連絡し、縫はそっとりんの部屋を覗いた。
りんはどうやら眠っているらしい。
『買物 行』
机の上にそうメモを残して、縫は静かに家を出た。
りんが熱を出しているのに気付いたのは、昨日、彼女が学校から帰ってきてからのことだった。近所の診療所は今日は休診日で、熱以外に症状もないため、一旦は様子を見ることにした。
スーパーでレトルトの粥とスポーツドリンク、自分用にカップラーメンを買い、急いで家に帰る。
買ったものを仕分けていると、居間の入口に赤い顔をしたりんが現れた。
「いん、える」
「んー……手伝う……」
「いい」
りんの顔がくしゃりと歪む。
ふらりとしたりんを慌てて支え、そのまま部屋へ連れて行く。
りんは首を振ったものの、抗うほどの体力はないようで、ほとんど引きずられるようにして部屋へ戻された。
「えて、る。いい?」
釘を刺すようにそう言って、そっとしておこうと立ち上がった縫の服を、りんが掴む。
「いん?」
「やだ、邪魔に、しないで」
言葉に詰まった縫へ、泣きながらりんが繰り返した。
その後、泣き濡れた顔でりんが眠った後も、縫はベッドのそばに座っていた。
「邪魔、なの?」
眠りながら、りんが苦しげに呟く。
額の汗を拭ってやりながら、縫は顔を曇らせた。
りんを邪魔に思ったことなどない。むしろ彼女のおかげで生活もかなり楽になった。
それでもりんが、自分が邪魔者だと思ったのは……心当たりは、ある。
――他の親戚と疎遠で、縫君くらいしか頼れる人、いないんでしょ? 縫君に何かあったら、りんちゃんはどうなるの?
ハルの言葉を思い出す。
今思えば、彼女の言ったことは最もだ。
自分に何かあったとき、りんが頼れる親戚は、縫も思いつかない。
というのも、りんの母方の祖父母は既に亡くなっており、伯母である縫の母もどこにいるのかはっきりしない。縫の父親も数年前に亡くなったため、頼ることはできない。
そしてりんの父方は……。
縫から見て、りんの父方の親戚はろくな人間がいない。
父方の祖父母は駆け落ちの末に産まれたからとりんを拒み、それ以外の親戚も、親を亡くした子どもの前で堂々と預け先の押し付け合いをし、加えてどこから聞いたのか、りんには黙っているが、縫がこの先暮らしていくのに十分な財産を持っていることを知り、自分の子供のために援助をしろなどと言ってくるような人間もいた。
小中と、そんな親戚の間をたらい回しにされてきたりんが、彼らを頼るとは思えない。
「……」
しばらく考え、部屋に戻った縫はスマホのメッセージアプリを起動させた。
トーク履歴から『ハル』を選ぶ。
『真霊教、調査、頼む、いい?』
ややあって、
『勿論! でもまだ動けないから、出来る範囲になるけど』
『有難う。助かる』
そう返信して、りんの様子を見に戻る。
りんは眠っていたが、その顔はまだ赤い。
りんのことは家族同然、実妹のように思っている。だからこそ、彼女にはただの学生としてすごしてほしい。
自由に言葉が出てこない、この身が恨めしい。
自分の思いを自由に伝えることができれば、きちんと伝えられるのだろうか。
濡らした布でりんの汗を拭う。
布の冷たさが心地いいのか、りんのしかめ面が少し和らいだ気がする。
もつれて顔にかかっているりんの髪を、縫はそっとどけてやった。