震える供花 #1

「あれ? 阿っちゃんは?」
 夕飯が並んだ食卓に、普段ならいるはずの弟の姿がないことに、一朱音にのまえあかねは首をかしげた。
「食欲ないからご飯いらないって」
 答えたのは妹の碧羽あおばである。
「ええ? 風邪引いてもカツ丼食べたいって言う阿っちゃんが?」
「あ、部屋行くの止めたほうがいいよ。あたしもさっき声かけたんだけど、だいぶ怖い顔してたから。朱姉、怒鳴られるかもよ」
「そんなに?」
「まあ、あんたたちはご飯食べちゃいなさい。阿刀にはまた声をかけておくから」
 母親に言われ、朱音も渋々椅子に座った。
「学校で何かあったのかな?」
「かも? あ、でもほら、テストそろそろじゃん? それかもよ」
 それだそれだ、と碧羽は勝手に納得したらしく、うなずきながら唐揚げを食べはじめた。

「阿っちゃん? 具合悪いの? 大丈夫?」
 夕食後、どうしても弟が気にかかり、朱音は阿刀へドア越しに声をかけた。
 中から、うん、と答えがあり、一拍置いてドアが開く。
「何?」
「ご飯、食べに来なかったでしょ。大丈夫?」
「ああ、うん」
 いつになく口数の少ない阿刀に、これはあまり話しかけないほうが良さそうだと察し、朱音はそれじゃ、とドアを閉めた。


 暗い部屋の中、スマートフォンの画面だけが発光している。
『ごめん
 いままでありがとう』
 画面に表示された文章を、阿刀はじっと見つめていた。
 やがて画面から目を離し、机の上を見る。
 そこには――暗くてよく見えないのだが――黒い封筒が二枚置いてある。一枚は五年前、阿刀の下駄箱に入れられていたもの。もう一枚は今日の放課後、高等部二年の生徒が誰かの下駄箱に入れていたのをこっそり抜き取ったものだ。
 普段なら阿刀もこんなことはしない。だが阿刀はその封筒を知っていた。そして、見たからには、そのまま見過ごしておけなかった。
 起き上がって部屋の電気をつけ、封筒を取り上げる。

『卜部麻乃様

 以下日程で学生裁判を開廷します。
 学生裁判規則第3条により、貴方には弁護人としての出廷を求めます。

 日時:期末考査最終日の16時~
 被告:2-A 風切零
 罪状:学園の風紀を乱した罪、及び、生徒の安全を脅かした罪
 場所:旧校舎3階 視聴覚室

 出廷されなかった場合、被告人には弁護人不在として裁判を進めます。
 但し、弁護人として出廷できない場合、同封の委任状を持ったものを代理弁護人として2名まで認めます。
 万一教員・学外に裁判のことを口外された場合、学生裁判委員会が相応の処罰を行います。』

 もう一枚、角が擦れ、やや古いと思われる封筒には、

『一阿刀様

 以下日程で学生裁判を開廷します。
 学生裁判規則第3条により、貴方には弁護人としての出廷を求めます。

 日時:中間考査初日の9時~
 被告:1-B 日向井夏也
 罪状:拾得物横領罪
 場所:旧校舎3階 視聴覚室

 出廷されなかった場合、被告人には弁護人不在として裁判を進めます。
 但し、弁護人として出廷できない場合、同封の委任状を持ったものを代理弁護人として2名まで認めます。
 万一教員・学外に裁判のことを口外された場合、学生裁判委員会が相応の処罰を行います。』

 こちらの通達は何度も読まれたのだろう。折り目からところどころ破れている。

 学生裁判。教師の目を盗んで行われる、生徒の、生徒による法廷。
 当然ながら学園の校則では禁じられているが、時折こうして密かに行われている。
 だが、学生裁判の弁護人など形だけだ。不在でも裁判を進めるのだから、こんなものはただのごっこ遊び、茶番にすぎない。
 ただ被告にした生徒を吊し上げ、有罪にして晒すだけのものだ。
 だから――今度こそ、あんなものは止めてやる。
 通達を持つ手に力が入る。紙にぐしゃりとしわが寄った。