非日常的日常 #2

 黄昏学園解決部の待合室。
 学園内だけにとどまらず、市内から寄せられる依頼の解決に日夜奔走する解決部員の憩いの場である。
 放課後、風切零はこの待合室を訪れた。
 本来、写真部に籍を置く彼女はそちらの部室に行けばいいのだが、零はどうも写真部の部室が苦手なこともあり、写真部の部室よりは過ごしやすい――そして活動にはさほど熱心ではないものの一応所属している――解決部の待合室に来たのである。
 部屋には黒髪をショートカットにした女子生徒がおり、何やら熱心に古い小冊子を読んでいる。
 先客を気にせずに零は鞄を開け、登校途中にコンビニで買ったメロンパンを取り出した。
 先客の邪魔をしてはいけないと手だけ合わせ、メロンパンの封を開ける。
 そのとき、室内に鋭い笛の音が響いた。
「主は校則第八十条でこう述べております。『昼食時、および運動後を除き、校内での飲食を禁ずる』。また、こうも述べております。『学園内に菓子類およびそれに準ずる嗜好品の持ち込みを禁ずる』。貴方様の行いは主の意思に反するものであり、主はこのような行為を赦しはしないでしょう」
 あたかも犯人を示す探偵のごとく、漫画にすればビシィ、とでも効果音がつきそうな勢いで、仁王立ちした女子生徒が零を指差す。
 零はといえば、笛が鳴らされたときにはすでにメロンパンをかじっており、滔々とうとうと言葉が並べられている間も、とりあえず口中のパンを咀嚼することを優先していた。傍から見ればまったく締まらない光景であることは言うまでもない。
 パンを飲みこみ、改めて目の前に立つ女子生徒に目を向ける。
 青いフレームの眼鏡をかけた、どこか神経質そうな生徒である。フレームの奥の目は鋭く零を見すえている。
「……これ、昼ごはんなんだけど」
「それならどうして昼休みではなく今食べておられるのですか? 黄昏学園校則第八十一条にはこうあります。『昼休憩はは十二時から十三時、生徒はその間に昼食を済ませること』」
 よどみなく校則を語る姿に、思い当たるものがひとつ。
 かつての校長によって設立されたという団体――黄昏の会。
 旧校則を絶対の教義として崇め奉っていたものの、当の校則の改訂により必要性が失われ、現在では存在しない、と言われているが、反面、今年に入ってその伝説の会が復活した、と小耳に挟んだ。
 めんどくさ……、と思わず零した零の呟きはしっかり聞こえていたらしく、女子生徒――黒田真名花くろだまなかはきっと零を睨みつけた。
 少し前、同学年の織田寧々おだねねが掲示板でこの黒田に日頃の生活態度をたしなめられ、激昂していたが、確かにこの態度では怒りたくもなるだろうと――もっとも、日頃の織田の態度も大概ではあるのだが――、零は内心で織田に同情した。
「だからさ、これ昼ごはん。今日登校したの、昼休みが終わるギリギリだったからお昼食べられなかったんだって」
「黄昏学園校則第十二条、『生徒は朝九時半までに教室へ――』」
「あのさあ」
 メロンパンと一緒に買っていた麦茶を一口飲み、不機嫌そうに顔をしかめた零が、珍しく尖った声で真名花の言葉を遮る。
「理由もなく遅刻するわけないじゃん。今日は家の事情でどうしても朝から登校できなくて遅刻しただけだし、用事が長引いたからギリギリになっちゃったんだって。だいたいちゃんと学校には連絡入れてるから、無断で遅刻したわけでもないし」
 少し前、なぜか新興宗教の信者から恨みを買った零は、危うく家を放火されそうになった。幸い家の警報が作動したのと、犯人たちが自滅したせいもあって未遂で済んだのだが、その事情聴取で零は警察に呼ばれていた。その事情聴取が想定外に長引いてしまい、零が登校したのは昼休み終了直前、ということになったのである。
 しかしそこまで懇切丁寧に真名花に告げるつもりはない零は、あとは察せと言わんばかりの目付きで真名花を見返した。
「何? 疑ってるならこんなとこで校則語ってないで先生にでも聞いてきたら? こんなことで嘘なんかつかないけど」
 目を細めた零が、それまでよりも低い声を出す。
「そうさせていただきます。それでは、失礼いたします。貴方様に主のお恵みがありますように」
 一瞬顔を引きつらせた真名花は、それでも軽く頭を下げて待合室を出ていった。
 零は内心真名花が出て行ってくれたことにほっとしつつ、零は再びメロンパンを頬張った。
 真名花にいつになくきつい態度をとったのは空腹だったのもあるが、それ以上に真名花の宗教がかった語調がかんに障ったのである。特につい数日前、宗教絡みで嫌な目にあった身としてはなおさら嫌悪感をもよおす。
 あっという間にメロンパンを食べてしまった零は、さてと、と立ちあがった。
 ぼんやりしていてはまた真名花と出くわすかもしれない。普段の零ならまだしも、数日前からの件で気が立っている今の零では、これ以上真名花の言葉を聞くことになれば暴言を吐きかねない。
(何か食べて帰ろうかな……パン一個じゃ足りないし)
 購買に行って適当に何か買うか、通学路からは少し外れるが、よく行く駅前の中華料理店か格安のイタリアンレストランに寄って何か食べようか。
 鞄を取り上げたとき、ドアが空いた。
「あ、零ちゃん! ちょうど良かったのです」
 零を見るなりにこにこ顔になったのは、同じ二年の卜部麻乃うらべあさのだった。麻乃の青い髪にたくさんつけられた小さなリボンが揺れる。
 てっきり真名花かと思っていた零は、思わず目をぱちくりさせる。
「卜部、さん。どうしたの?」
「うん、これ一緒に食べよ?」
 ごそごそと鞄を探っていた麻乃が取り出したのは、自転車らしきものに乗った少年のイラストがパッケージに描かれた菓子だった。黒い紐のようなものを巻いて円状にしたような中身が見えている。
「それ……」
「タイヤグミというものだそうです。近所のコンビニで買いました」
 予想が当たった。
 高校入学前、受験勉強に精を出していた零は、夜中の眠気覚ましに、父親が出張先で買ってきたこれを食べていた。
 椅子に座り直し、グミをひとつつまむ。
 覚えのある独特の匂いが鼻を刺激する。
 そのまま一口かじると、こちらも覚えのある薬のような味が口の中に広がった。
(やっぱり美味しいものじゃないね、これ)
「どう?」
「うん、食べれるよ」
 では、とばかりに麻乃がグミをひとつつまみ出し、ぱくりと半分ほどかじる。
 直後。
 待合室には見事にむせた麻乃の咳と、声にならない声が響いたのだった。