非日常的日常 #5

 くるくるとカルボナーラをフォークに巻きつけ、口に運ぶ。
 カルボナーラは好きだ。パスタを食べるときにはたいていこれを選ぶし、家でも――イチから作るのは結構手間だから、レトルトのパスタソースを使うことのほうが圧倒的に多いけれど――気が向いたら作ることもある。
 ソースとベーコンだけでなく、半熟卵なんか乗ってたら最高だ。
 あとは――

「零ちゃんはもっと可愛げを持たなきゃダメよ、女の子なんだから。そうやってすましてる子より、いつもニコニコしてる可愛い子のほうが人気なんだから。それと、解決部なんて訳のわからないものはすぐに止めなさい。子供が大人の真似事なんてするものじゃないの。まったく、どうして静子も弘海ひろみさんも一人娘を黄昏なんかに入れたのかしら。その上一人暮らしさせるなんて……」

 正面に座っているのが伯母さんではなくて、例えば麻乃ちゃんだったらどんなにいいか。

 以前、どうしても連絡を取る必要があって、この人――母方の伯母、福来育子さん――に久しぶりに母親経由で連絡したときに取り付けられたのが、箱猫アウトレット内のイタリアンレストランでの夕食、だった。伯母さんの職場がこの近くだから、らしい。
 伯母さんは『華仙』という名で祈祷師をやっている。結構有名、と聞くけれど、わたしとしては関わりたくない。
 とはいえ会計は向こうもちだし、何でも好きなものを食べていい、というのだから、食事相手がこの伯母さんでなければ大喜びするところだ。

「そもそも黄昏じゃなくたって、箱猫にこだわらなかったら高校は沢山あるでしょう?」
「でも伯母さん、黄昏は家から近いし、学費も安いから……」
「まあ!」

 呆れた、とでも言いたげに、正面の伯母さんの目が大きくなる。
 どことなく、わざとらしい仕草だと思う。
 仕草だけでなく、この人は見た目も何となくわざとらしい――というか、ちぐはぐだ。どこが、とはっきり言うのは難しいけれど、どことなく。

「子供にお金の心配させてるの、静子は!?」
「や、そういうわけじゃなくて……」

 ちらちらと、周りから視線が向けられる。

「ああ、それに……傷跡、消してないのね」

 伯母さんの視線が、わたしの肩のあたりを滑る。

「静子にも言ったけど、今は医学も進んでるんだから傷跡だって綺麗に消えるのよ。女の子なんだからそんな傷跡見せちゃダメよ。何なら伯母さんがいいお医者さんを紹介してあげるわよ」
「……傷跡なんかない・・から、いい」
「何言ってるの。いいこと、零ちゃん。そうやって意地をはってたっていいことなんかないんだから、素直に言うことを聞きなさい」

 伯母さんがテーブルを叩く。
 その勢いで、ちょうどテーブルに登ってこようとしていた手がころりと床に落ちた。
 再び視線が集まる。

「帰る」
「ちょっと、零ちゃん!」

 もう我慢できなくなって、鞄を掴んで席を立ち、店を飛び出した。

 *****

 人に流されてエレベーターに乗り、人に流されて適当な階で降りる。
 エレベーターの階層表示には『4』とあった。
 降りようとしたとき、後ろから、ぐい、と鞄を引かれた。とっさにふりはらって、早足でエレベーターを降りる。
 ぞろぞろと歩く人たちの流れから抜けだして立ち止まったのは、コスメショップの前だった。
 『新発売!』と書かれたポップの下には、丸い鏡が置いてある。
 鏡の中から、ぼんやりこちらを見ている自分と目が合った。
 ぐっと口元に力を入れて、口角を上げてみる。……なんだか引きつったような、変な顔になった。
 もっとこう、自然ににっこりとするべき、なのだろうけれど。
 鏡の自分とにらめっこするのをやめて、肩のあたりを映してみる。傷跡のようなものはない。そもそも、跡が残るような怪我をした記憶はない。

――もっと可愛げを持たなきゃダメよ。

 可愛げがない。
 あの伯母さんに会うたびに言われる言葉ではあるけれど、どうすれば『可愛げ』を持てるのかわからない。
 例えば麻乃ちゃんみたいに髪を染めて、たくさんリボンをつけたら可愛げを持てるのだろうか。
 なんとなくそんな自分を想像してみて、ちょっと背筋が寒くなった。あの格好は麻乃ちゃんだから似合うのであって、自分がやったところでただ滑稽なだけでしかない。
 店頭に並んでいるチークやアイシャドウを眺めていると、こちら新作なんですよー、と店員が声をかけてきた。
 あいまいに誤魔化してその場を去る。
 ある程度離れてからふりかえると、漏斗ろうとを逆さにしたようなシルエットの女性(?)がコスメを見ていた。下半身に履いているのがスカートっぽいから女性なんだろうけど……そもそも見えているのだろうか、あれ。
 エスカレーターを使って一階ずつ階を降りていく。ぼんやりしていたら伯母さんに捕まってしまうかもしれない。
 急ぎ足でアウトレットを出て駅前まで走り、息を切らせながら、ちょうどよくやってきたバスに飛び乗る。
 鞄に下げているICカードを入れたパスケースを取ろうとした指が空を滑る。思わず見直すと、そこにあるはずのパスケースがなかった。
 たぶん、あのときだ。エレベーターで引っ張られたとき。あそこで落としたに違いない。
 とはいえバスはもう走り出している。わたしは仕方なく、整理券を取ってバスに揺られていた。


 わたしが降りたのは、最寄りのバス停から三つ手前のバス停だった。アウトレットに行く前にICカードにチャージしていたからバスで両替できる紙幣がなく、手持ちの小銭ではそこまでしか行けなかったからだ。
 でも家までの道はわかるから、迷う心配はない。もう暗くなっているし、早く帰ろう。
 小走りで角を曲がって――背筋が凍った。

 子犬と、それを散歩させている人影。

 見た瞬間、反射的に踵を返して走っていた。
 でたらめに走って角を曲がり、そのまま座りこむ。

 犬は苦手だ。小さいときからそうだった。いることに気が付いたら見ないように避けられるけれど、大きな犬なら足がすくんで動けないときもある。
 ただ、今はカウンセリングを受けたこともあって、画像ならかろうじて――あまり見たくないけれど――見ることはできる。小さいときはテレビを見ていて犬に見えるキャラクターが出てきたり、見なくても鳴き声が聞こえるだけでしばらく泣き叫んでいた、らしいから、一応ましにはなっている。

 しばらく地面に座って休み、息と気分が落ち着いてきたところで、はたと気付いた。
 やみくもに走ったせいで、帰り道がわからない。
 途方に暮れかけて、そういえば、と思い出した。
 確かスマホに入っている地図アプリに、現在地と目的地を入れれば道案内をしてくれると榎本さんが言っていた。
 GPSをONにして目的地を入力し、『経路案内』を押す。
 スマホの画面に表示された、やけに入り組んだ経路を確認して、わたしはのろのろと立ち上がった。

 この後、あまりにも複雑なルートのせいで余計に迷い、たまたま『公園に現れる白装束の子供』の噂を検証しようとしていた麻乃ちゃんと出会い、一緒に検証することになったのは余談である。